だが、インディーテクノレーベルが確立されていなかった時代の為、リリースは主にメジャーのコンピレーションアルバム、TOKYO HOUSE UNDERGROUND VOL.1 (SONY)、SIM HOUSE 2001 DAISY GROOVE (SSE)に参加しただけで、ユニットの活動期間も短かった為、単独作はリリースされなかった。
リリースとしては主にメジャーのコンピレーションアルバム、TOKYO HOUSE UNDERGROUND VOL.1 (SONY)、SIM HOUSE 2001 DAISY GROOVE (SSE)に参加。TVK(テレビ神奈川)の音楽番組ファンキートマト(メジャーデビューしたばかりの電気グルーヴが司会をしていた)にも出演。
人気を博すも、1992年2月に川崎クラブチッタで行われた808STATE来日公演のフロントアクトをPC-8と共に務めた後、解散。タカハシはPC-8のハゼモトキヨシとMUTRONを結成するも短期間で解散。その後T2〜PALOMATIC名義でソロとして活動。1993〜4年にかけて海外ライセンスもされた福岡のテクノレーベルSYZYGY RECORDSのコンピレーションアルバムBELIEVE IN THE FREQUENCY POWERやExT Recordingsの前身に当たるTRANSONIC RECORDSのコンピレーションアルバムへの参加、1995年唯一のアルバムとなったTRILLを発表。その後、表立った活動は無かったが、2011年、永田一直の呼びかけによりiTunes StoreでアルバムTRILLを再リリース。
ニックヨシザワは解散後、元O-TISM (砂原良徳が在籍した事で知られるニューウェーブバンド)の末岡二郎、田中純とCLICK SLIPを結成。ライブ活動の他、コンピレーションアルバム、トロイの木馬(東芝ポルスプエスト)、BEST OF TRIGGER TRACKS (TRIGGER LABEL*TRANSONICの前身団体)に参加している。
人気を博すも、1992年2月に川崎クラブチッタで行われた808STATE来日公演のフロントアクトをタカハシテクトロニクスと共に務めた後、解散。ハゼモトはタカハシテクトロニクスのタカハシコウジとMUTRONを結成するも短期間で解散。その後INTERFERON名義でソロとして活動。1993〜4年にかけて海外ライセンスもされた福岡のテクノレーベルSYZYGY RECORDSのコンピレーションアルバムBELIEVE IN THE FREQUENCY POWERやExT Recordingsの前身に当たるTRANSONIC RECORDSのコンピレーションアルバムへの参加、1994年に唯一のアルバムとなったSEANCE-ROOM MUSICを発表。その直後より、ゲームのサウンドメーカーでの活動が主になり表立った活動は無かったが、2011年、永田一直の呼びかけによりiTunes StoreでアルバムSEANCE-ROOM MUSICを再リリース。その際、17年振りの新曲をボーナストラックとして提供したのを皮切りに、ライブ、DJ活動を再開した。
トミザワは解散後、ハードコアテクノトラックメイカーUNIVERSE LEZのタナカトモノリとKING OF OPUSを結成。1993〜4年にかけて前述のコンピレーションアルバムBELIEVE IN THE FREQUENCY POWERやTRANSONIC RECORDSのコンピレーションアルバムへの参加、1995年にファーストアルバムCIRCUMSTANCES VICTIMIZATIONを発表。ダブを基調に世界で最も早かったとされる、モンド/ラウンジ要素を取り入れたブレイクビーツトラックは、現在にいたるまでテクノシーンに限らずあらゆるクラブシーンでの評価が高く、2006年に再リリース、2011年にはiTunes Storeで配信が行われた。トミザワはMUMBLE MAN名義でジャマイカプレスの7インチシングルのリリースなどレゲエ方面での活動も行っている。2007年にはセカンドアルバムLASTをavexよりリリース。現在も精力的に活動している。
また、横浜のPAN PACIFIC PLAYAや関西ダブシーンなどの多くの00年代アーティスト達がKING OF OPUSのファンであると公言している。